桜が咲いたよ、と書くと思い出すのが久石譲のアルバムに入っていた
Jackie Sheridanの歌う “さくらが咲いたよ”。
やけに印象に残っているのが一番最後の歌詞。
さくらが咲いたよこの世を埋めて
さくらが咲いたよあとにはなにもない
さて一昨日のこと。うちからすぐ北にある山の麓にある森の中へ行った。
我が町の、それも家からすぐの所にありながら35年訪れたことの無かった場所だ。
M3+Summaron35mmF3.5 |
40年前ほど前、ここに山荘があった。
幼稚園で同じ組の仲の良い女の子のお家が経営する結婚式場のある山荘。
木漏れ日の漏れる綺麗な場所で森の中にはいくつかのコテージを構えすぐ奥の山の中では
滝というには小さすぎるような量の水がちょろちょろと崖から流れていた。
けれど4~5年経ったある日突然この山荘は閉鎖する。
そしてその直後、僕と仲の良かったその女の子は昨日まで笑っていた笑顔がまるで幻だったかのように
忽然とこの町から消えてしまった。もちろん家族もろとも。
ずいぶんたってから、彼女の家は倒産したんだよ、という話を聞いた。早い話が夜逃げだったようだ。
山荘の経営は始めこそ順調だったけれど、もとより観光資源などないこの田舎町ではこんな山荘をやっていくのは大変だったようで、
さらに追い打ちをかけるように敷地内のコテージで結婚を許されなかったカップルが自殺したという噂もあったようだ。
ただしその辺は後から尾ひれが付いたのかもしれないような話で、本当なのかどうかはわからない。
彼女がいなくなってからしばらして、小学生の高学年頃だったか、父と一緒に車に犬を乗せてこの山荘跡まで来たことがあった。
廃墟になったコテージが森の中に残っていて、その奥には教会らしきものもあった。
きっとここで結婚式を挙げたのだろうと話ながら父と僕と犬とでその廃墟へ入っていく。
するとなにもいないのにやけに怯えたように犬が吠えて吠えて、あまりに鳴くので気味が悪くなって出ようとしたとき
足がずぼっと腐っていた床板を踏み抜いた。
いや、その足が僕だったのか父だったのか、いやひょっとすると犬だったのか。じつは覚えていない。
ともかく僕一人、もの凄いパニックになって明るい林道まで走って出て行った。
そのあと、「びびりだなあ」などと笑いながら犬を抱いた親父が森からゆっくり出てきたのはよく覚えている。
それ以来、ここには近づかなかった。
僕が成人する頃には過激派のような人達が住みついているとかで、それも近づかなかった要因のひとつではあったが。
一昨日その山荘跡へ入っていく森の横を通ったときにふいに行ってみようかな、と思った。
なんでかはわからないけれど。
こんなに距離あったっけ?というくらい舗装のされていないガタコト道を走っていくとふいに景色が開けた。
はたして山荘のあった場所はすっかり平らになって、ただの平地となっていた。
森の中のコテージは全て無くなっていて、けれどあの滝だけがまだそのままそこにあった。
あの怖かった場所は、あっけないくらいただの静かな森に変わっていた。
よく見るとバーベキュー場だった残骸のような煉瓦がころがっていたけど
そこに巣くっていた過激派たちが作ったものかその山荘の残りなのかももうわからない。
あの跡地にはもうなにもなかった。
うっそうとした森の中、滝の手前で桜の木が1本だけ、綺麗に満開だった。
M3+Summaron35mmF3.5 |
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